プロフィール

初めまして。

“本当の私に還るカウンセリング”心理カウンセラー 
岡田空乃(おかだそらの)です。






私は現在、他人の目を気にして「自分らしさ」を見失ってしまっている方や、自己肯定感の低さ、また幼少期の家庭環境(毒親・アダルトチルドレン)による生きづらさを抱えている方を対象にカウンセリングを行っています。

私自身、幼い頃から生きづらさを抱え、人間関係・恋愛・結婚・子育てのあらゆる場面で苦しみを繰り返してきました。

頑張っても、頑張っても、増していく生きづらさ。
「どうしてこんなに苦しいんだろう?」
もがいても変わらない現実の中で、私はずっと、その理由を探し求めていました。

そしてある時、私はその苦しみの本当の根っこに気づくことになります。
それから、外側を変えようとするのをやめて、少しずつ自分の心と向き合いました。
すると、嘘のように現実が変わり始めました。


今、どんなに苦しい状況にあったとしても、
人はいつからでもどこからでも変わることができます。


私のこれまでの経験が、かつての私と同じように生きづらさを抱えるあなたにとって、
「自分らしさを取り戻し、笑顔で生きていくための小さな希望」になれたら、これほど嬉しいことはありません。

カウンセリングを進める上で、何よりも大切なのは「カウンセラーとの相性」です。
「この人になら、安心して話せそうだな」
「自分の気持ちを否定せずに聴いてくれそうだな」
あなたの心がそう感じたとき、初めて深いお悩みを打ち明けることができます。

まずは私のプロフィールを読んでみて、あなたの心がどう感じるかを大切にしてみてくださいね。

忙しく働く親のもとで寂しかった幼少期

私は自営業の家庭に次女として生まれ、仕事場と家の境目がほぼ無い、店舗兼住宅で育ちました。

両親は毎日忙しく働いており、幼い頃から寂しさを感じることがありました

母を呼んでも「今お客さんだからちょっと待って」と言われ、何時間も一人の部屋で待つことが当たり前でした。

楽しみにしていた約束も、「そんな約束してないよ」と言われることがありました。
悲しくて泣きながら想いを伝えても、状況は何も変わりませんでした。

何を言っても聞いてもらえないという経験を繰り返す中で、いつしか「自分の気持ちを話しても、どうせ聞いてもらえない」という強い思い込みが、幼い私の心の奥に根づいていきました。

冷蔵庫も触ってはいけない——あらゆることを母にコントロールされ息苦しかった子ども時代

母は厳格で過干渉だったので、私の行動には多くの制限がありました。

門限も同年代の友達より早く、遊び続ける友達を横目に真っ先に帰らないといけませんでした。
「まだ遊びたいのに……」

家の中でも自由はなく、家の中の物を使う時は母の許可が必要でした。
冷蔵庫の中の食べ物でさえ、「勝手に触らないで。予定が狂うから。」と言われていました。
お腹がすいても、母の仕事の手があくまでずっと待っていることを強いられたのです。

やりたいことも自分の判断でしてはいけない必ず母の許可がいる
母親の価値観、母親の生活スタイル優先の環境の中で、次第に息苦しさを感じるようになっていきました。

学校では自信が持てず、常に不安と緊張で——ひとりになるのが怖い

幼少期から親の制限や干渉が強い家庭環境で育ったせいか、外では何をするにも自信が無く不安が強い子どもになっていました。

学校では休み時間が苦手でした。
「ひとりぼっちになったら自由に動けない。どうしよう…」
そんな不安をいつも抱えながらも、誰かと目が合うことを避けていました。

「誰かに何か言われないようにしなきゃ。人に嫌な思いはさせてはいけない。」
そう思うと、一人では行動できず常に緊張状態でした。

声をかけてきてくれる友達がいない時には、ソワソワドキドキして得体も知れぬ大きな不安に襲われました

自分から誘うなんて到底出来ない。
いつも周囲に合わせて自分の気持ちを押し込んできた私は、自分らしく自由に過ごすことなんて不可能だったのです。

小6の秋、父と姉の衝突をきっかけに私の居場所はなくなった

小学6年生の秋頃です。
父と思春期真っ只中の姉の大きな衝突をきっかけに、家庭内の空気は一気に重たくなりました

姉は部屋に引きこもって自分の世界に浸るようになりました。
私が近づくと暴言を吐かれ「話しかけてこないで!」と何度も言われました。

相変わらず両親は仕事で忙しく、ほとんどかまってくれません。
私のことを思ってというより、むしろ自分たちの手を煩わせたくないための指示やルールで、身も心も身動きが取れなくなっていきました。
そして姉からは暴言と無視・・・。
姉が怖くて、必死に母親に訴えても、一瞬困った顔をしてから何も言わずに去っていってしまう。

家の中に心を許せる話し相手は一人もいませんでした。

「この家にわたしの居場所はない」
そう強く感じるようになっていきました。

中学時代~感じる力が失われ、身体の不調が20年以上続く

「この家に私の居場所はない。でも、私にはこの家しか帰る場所がない・・・」
中学生くらいからそう考えるようになっていました。

心も身体もぎゅっと固まっているような感覚があり、
何かを感じる力そのものが少しずつ失われていきました。

何をしていても誰と過ごしても心から楽しいと思えず、毎日をどこかぼんやり、衝突が起こらないように周りに合わせて過ごしていました。

その頃から、慢性的な胃の不調や下痢に悩まされるようになり、その症状は、その後20年以上続くことになります。

実家を離れても鳴り響く母からの電話——監視されているかのような社会人生活

この家にいたら、自分という存在が消えてしまう
そんな恐怖感を抱いていた私は、20歳で実家を離れ、県外へ就職しました。

ようやく自由になれる!
そんな期待を胸に始まった寮生活でしたが、現実は違いました。

寮の別室から自室へ戻ると母から電話がかかってきます。
「こんな遅くまでどこに行っていたの?」

実家を出て働いているにもかかわらず、躾と言わんばかりの母の口調に胸が苦しくなりました。
距離が離れても、母の存在がいつも私を追いかけてくるようでした。

本当はもう放っておいて欲しいと思うと同時に、そう思ってしまう自分自身に罪悪感が湧いていました。

実家を離れてもなお、私は母の価値観や評価から自由になることができず、自分を責め続けていたのです。

大人になっても自分の気持ちが掴めないまま、人生がどんどん行き詰っていく…

幼い頃から自分の気持ちを押し込めてきた私は、自分の本音を感じないように…気付かないように生きてきた気がします。

だからこそ、婚約まで進んだ相手に対しても違和感がずっと消えませんでした。
悩み抜いた末に婚約を解消したものの、心身のバランスを崩し、心療内科を受診することになりました。

それから3年後に大好きで大切だと思えた人と結婚しました。
ところが、相手の親族問題に否応なく巻き込まれてしまいます。
私にはどうすることもできず、やがて心が限界を迎え、逃げるように離婚を選びました。

身も心もボロボロになり、涙が止まらない日々が続きました。
ついに仕事も一人暮らしも手放さざるを得なくなり、実家へ戻ることになりました。

情けなくて、悲しくて、悔しくて、自分の不甲斐なさに苦しみました。

「ここでもう一度、人生を立て直すんだ」 と必死になって働き続けましたが、身体はもう限界でした。今度は、突発的に襲ってくる猛烈なめまいに悩まされるようになっていったのです。

我慢が続き、孤独な結婚生活

離婚から約10年後、私は今の夫と出会い再婚し、二人の子どもにも恵まれました。

子ども達との暮らしは笑い声が絶えず、ようやく幸せを感じられるようになりました。

しかし夫は仕事中心の生活で深夜になっても帰ってきません。
妊娠中も一人で過ごし、子育ても一人で抱えて何とか頑張っていましたが、次第に孤独感で心が震え出しました。
実家にも頼ることができず、悩みを打ち明けられる場所はどこにもありませんでした。

さらに夫婦で話し合うべきことも義両親を優先して決められ、私の気持ちは後回しにされていきました。

思いを伝えても受け止めてもらえず、理想としていた家庭は日に日に遠のいていきました。

また同じだ……

寂しさ孤独感がどんどん大きくなり、私はまた少しずつ心を閉ざしていったのです。

子育ての限界と心身からのSOS

ワンオペで子育てを続ける中、息子が小学校2年生になった頃、私は大きな壁にぶつかりました。
友達と遊んでばかりで宿題を嫌がり、学校へ行きたくないと泣く息子に対して、感情を抑えられなくなっていたのです。
叱りつけたり怒鳴ったり、時には力づくで従わせようとしてしまうこともありました。

「何で言う事聞かないの!ママはいつも親の言う事聞いてきたよ!」

息子を思い通りにしようとしてしまう自分の姿は、かつての母と重なっていました。
必死に抵抗する息子を前に、私は怒りと悲しみで胸が苦しくなりました。

本当はこんな子育てがしたいわけじゃない!でも、どうしたらいいのかわからない・・・

自分の気持ちをまっすぐ表現する息子の姿は、かつての私が親にしてほしかったことそのものでした。
しかし私は、自分の気持ちを押し込めて育ってきたため、息子のそのままの感情を受け止める方法を知らなかったのです。

子育ても限界だと感じ、かつてないほど深い絶望の中にいたある日、買い物中に突然腰から崩れ落ち、その日を境に30分以上歩くことができなくなりました。
「子どもたちをどこにも連れて行ってあげられない……もう終わりだ……」

限界の中、助けを求める一歩を踏み出す

「自分の身体はどうなってしまうのだろう……」
「もう消えてしまいたい……」
そんな思いが頭をよぎるほど、私は追い詰められていました。

本当は誰かに助けを求めたかった。
でも、一人で抱え込むことが、いつの間にか当たり前になっていました。

生きている実感も持てないまま、もがき苦しむ日々の中で、ふと子どもたちの姿を見つめた時、大切なことに気づいたのです。
「私には、何よりも守りたい大切な存在がいる。」
そして同時に、自分の人生をこのまま諦めたくないという思いが心の奥から湧き上がってきました。
「大切な人たちと笑顔で暮らしたい。そのためにも、まずは自分自身が変わらなければならない。」

そう強く感じた私は、人生を変えるために助けを求める一歩を踏み出したのです。

生きづらさの原因は、親との関係の中で身についた「心のクセ」だった

限界を感じていた私は、カウンセリングを受けることを決めました。
最初はただ、「この苦しさから解放されたい」「誰かに話を聞いてほしい」、そんな思いだけでした。

カウンセリングを重ねる中で、私は大きな気づきを得ます。

それは、恋愛、人間関係、結婚、子育て——別々の問題だと思っていた苦しみの根っこには、幼い頃から身についた共通の「心のクセ」があるということでした。

自分より相手を優先する
自分の気持ちを我慢する
話してもどうせ聞いてもらえない

このクセは、親との関係の中で生き延びるために身についたものでした。
当時の私にとっては必要な術だったかもしれません。

しかし大人になってからも、そのクセはそのまま作動し続けました。
そして、人間関係や恋愛、結婚、子育てのあらゆる場面で、同じような苦しみを繰り返させていたのです。

本当に向き合うべきだったのは、目の前の問題ではなく、自分自身の心でした。

この気づきは、私にとってとても大きなものでした。

変われないのではなく、やり方を知らなかっただけだ
そう思えた瞬間、初めて希望の光が見えた気がしました。

自分が変わると、人生は変わり始める

カウンセリングセッションを受け、心のことを学び、自分と向き合い続ける中で、少しずつ変化が起こりました。

20年以上悩まされていた胃の不調や下痢、めまいは気づけばなくなっていました。

30分以上歩けなかった身体は回復し、今では子どもたちと一日中出かけられるほど元気になりました。

そして何より、自分の気持ちを大切にできるようになったのです。

以前のように周りの期待に振り回されるのではなく、「私はどうしたいのか」を考えながら選択できるようになりました。

夫に対しても、以前のように我慢して飲み込むのではなく、自分の気持ちを落ち着いて伝えられるようになりました。
すると夫も少しずつ私の言葉を受け取ってくれるようになり、二人で話し合える時間が増えていきました。

息子に対しても、宿題や登校を巡って爆発していた感情は穏やかになりました。
息子が「学校行きたくない」と言っても、まずその気持ちを聞いてあげられる自分になれたのです。
一緒に笑える時間が、少しずつ増えていきました。

自分の思い描いていた人生が、動き始めたのです!

同じように苦しんでいるあなたへ

私は長い間、「周りが変われば幸せになれる」と思っていました。
けれど、変わる必要があったのは、私自身の心でした。

もしあの時、誰にも頼らず一人で抱え込み続けていたら——「助けて」と言えないままだったら——今の私はここにいなかったかもしれません。
子どもたちと笑顔で過ごせる今も、なかったかもしれない。

だからこそ今、かつての私と同じように、

他人の目を気にして「自分らしさ」を見失ってしまっている方や、自己肯定感の低さ、また幼少期の家庭環境(毒親・アダルトチルドレン)による生きづらさを抱えている方のお力になりたいと思っています。

安心して気持ちを話せる場所があるだけで、人は少しずつ本来の自分を取り戻していくことができます。

あなたが自分らしさを取り戻し、「本当の私」として生きていけるよう、心を込めてサポートいたします。