プロフィール

私は自営業の両親の元に次女として生まれました。
時は高度経済成長の終盤にさしかかっていたころです。

両親と2歳上の姉とわたしの4人家族。

家は店舗兼住宅で、自宅と仕事場の境界がほとんどない環境でした。

家業は日に日に忙しくなり、いつもお客さんの出入りがあり、
両親は朝から晩まで忙しく働いていました。

忙しく働く親のもとで寂しかった子ども時代

わたしは、毎日お客さんと会話をしながら働く両親の姿を見て育ちました。

母を呼んでも「今お客さんだからちょっと待って」と返事が返ってきて、
そのまま何時間も待ちぼうけは当たり前でした。
母に手伝って欲しいことがあっても「また今度ね」といつも言われました。

幾度となく母と約束をしたことがあります。

わたしは、その約束の日をずっと楽しみに待っていました。
案の定、約束の日は過ぎました。

それでも忙しい母の姿を横目に見ながら、
「忙しいから今は待とう」と思いずっと待っていました。

いくら待っても約束をした話すら出てこないことに疑問を感じたわたしは、
「あの約束はどうなったの?」と、やっとの思いで尋ねました。

「そんな約束してないよ」と言われました。

悲しくて泣きました。約束したのに!と怒りました。
力の限り気持ちをぶつけて訴えましたが、母は何も変わりません。

同じような事を何度も何度も繰り返し、
だんだん我慢することを覚えていきました。

心配性・過干渉の母にコントロールされ息苦しくなっていく・・・

母はかなりの心配性で、ほとんどの事が禁止されていました。
やりたいことがあっても、母が心配することはやってはいけない。

門限も同年代の友達より早く、
遊び続ける友達を横目に真っ先に帰らないといけませんでした。

「まだ遊びたいのに・・・」

当時流行っていたTVゲームもダメ。
ローラースケートは危ないからダメ。
友達宅へのお泊りもダメと言われ続けました。
部屋の中のものを使うのも、母の許可が必要でした。

冷蔵庫の中のものも「勝手に触らないで。予定が狂うから。」と言われていたので、
お腹がすいても、母の仕事の手があくまでずっと待っていました。

成長とともに、だんだん息苦しさを感じるようになっていきました。

自信が持てず、常に不安と緊張でひとりになるのが怖い・・・

わたしは幼少の頃から不安が強く、
自由に遊べる休み時間になるのが恐怖でしかありませんでした。

「ひとりぼっちになったらどうしよう」

――いつも不安でいっぱいでした。

誰かと目が合うのも怖くて、周りを見渡すことも出来ず、
どこにだれがいるのか探したことはありません。

身も心も常に緊張状態で、興味の無い本を広げてずっと読むふりをしたり、空を眺めていたり。

「誰かと一緒にいないと、ひとりぼっちって思われるの嫌だなぁ。」

そういう気持ちが常にあるのに、自分から声はかけられない。
声をかけてきてくれた子とは一緒に過ごしていましたが、
その子がいないと「ここに居るの嫌だな・・・帰りたいな・・・」
というくらい大きな不安が押し寄せてくるので、
心が落ち着く暇はありませんでした。

機能不全家族に・・・

小学6年生の頃です。
仕事が終わって部屋に入ってきた父と思春期真っ只中の姉の大きな衝突をきっかけに、
家庭内の空気は一気に重たくなりました。
姉は部屋に引きこもって自分の世界に浸るようになりました。
姉からは「話しかけてこないで」と何度も言われました。

「この家にわたしの居場所はない・・・」

そう感じるようになっていきました。

誰にも本音を話せず(話したとしても聞いてくれる人はいなくて)

「家族がいるのに苦しい…」
「誰も私の存在に目を向けてはくれない…」
「家の中が一番孤独…」

そう思い始めていました。

感情がわからなくなっていく・・・

そして、いつ頃からか、好きや嫌いといった感情さえ感じ取れなくなっていきました。
心から楽しいと思えることも無く、どこかぼんやりと過ごしていました。

コントロールされるまま、何も感じないまま、
目の前のことをこなすだけで精一杯でした。

心も身体も固まっているような感覚でした。
反応も鈍くなり、生きてる喜びなんてとうてい感じられませんでした。

身体に不調が現れ始める・・・

「寂しいけど、息苦しいけど、私の家はここしかない。」
中学生のころ、そう思っていました。

高校生の時は、勉強と部活以外は自分の部屋でヘッドフォンをしてエレクトーンを弾いて
一人の時間を過ごしました。

短大に入ると不登校になりましたが、何とか卒業だけしてはして欲しいという母の願いを聞いて、
卒業するまで何とか頑張りました。

母には心配をかけないように、姉の前では存在を消すかのように過ごしているうちに、
慢性的な胃の不調と下痢に悩まされ、その症状はその後20年以上続くことになります。

離れても母の存在に縛られる日々・・・

この家にいたら、自分という存在が消えてしまう――。
そんな思いを強く抱いていたわたしは、20歳になると家を出て県外へ就職し、
寮生活をすることになりました。

寮の食堂や別の部屋で過ごした後に部屋に戻ると、

「こんな時間までどこに行っていたの?」
「いつまで遊んでいるの?」
「もう帰ってるかなぁと思って電話しても、いつもいない」

もう社会人として働いているのに、しつけと言わんばかりの母の口調から、
苛立ちのため息が出ると同時に、自分が悪いことをしているかのような気持ちになってしまう…。

「わたしは心配ばかりかけ続ける親不孝な娘なのだろうか?」

そんな問いが頭から離れず、自分を責め続ける日々が続きました。

自分の気持ちがわからない、全てのことが悪循環の渦の中へ・・・

社会人になってからも、自分の気持ちがよくわからないままでした。

相手に合わせることはできても、「私はどうしたいのか」がわからない。
そんな状態のまま人間関係や恋愛を続けていました。

同僚男性との交際では、自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先し、
数年の交際を経て婚約まで進みましたが、
「このままではいけない」という思いが消えず、
悩み抜いた末に婚約を解消しました。

その後、心身の不調から心療内科を受診することになりました。

それから数年後、心から大好きと思える人と出会い結婚しましたが、
今度は相手の家族との問題や予想もしなかった出来事が次々と起こり、
幸せなはずの結婚生活は大きな苦しみ、そして失望へと変わっていきました。

「もう限界・・・」

・・・そう思ったわたしは意を決して離婚を選びましたが、
その後も涙が止まらず、食事も睡眠もろくに取れなくなっていきました。
意識朦朧としている中で仕事も一人暮らしも続けることが難しくなり、
とうとう地元に戻らざるを得なくなりました。

「わたしってなんて無力なんだ・・・」

これまでの全ての事象に自分を責め続けました。
来る日も来る日も涙が止まりませんでした。

そんな状況ではあっても、とにかく生きていかなければなりません。
地元に戻ってからは自分を無理矢理奮い立たせて追い込むかのように働き続け、
そして、めまいが頻繁に起こるようになっていきました。

再婚し、子どもも生まれ幸せなはずが・・・

離婚から約10年が経っても心の傷は癒えず、
人を愛することにも結婚にも自信を失っていました。

「一生ひとりで生きていこう」と決意し、人生を立て直そうとしていた頃、
今の夫と出会い、結婚。
その後二人の子どもにも恵まれました。

子ども達との穏やかな暮らしの中で、ようやく幸せな時間を感じられるようになりました。

けれど、その穏やかな暮らしは日に日に辛い日常へと変わっていきました。

理想の家族とのギャップと深まる孤独

夫は仕事中心の生活を送り、仕事と自分自身の息抜きの時間を常に優先していました。
朝仕事へ行くと、わたしと子どもが眠りにつくまで帰ってこないことが殆どでした。
わたしは妊娠中や子育ても一人で抱えることが多く、
次第に寂しさと戸惑いを感じるようになっていきました。

さらに夫は、夫婦で話し合うべきことも義両親と先に決めてしまい、
私の気持ちや意見は後回しでした。
義両親の家の隣への引っ越しも夫の判断で進み、
私は再び自分の存在が小さくなっていく感覚を味わいました。

何度思いを伝えても向き合ってもらえず、理想としていた温かな家庭は遠のいていきました。
それでも「これは乗り越えるべき課題なのかもしれない」と自分を奮い立たせながらも、
私は少しずつ心を閉ざしていったのです。

子育ての限界と心身からのSOS

家にこもりながらワンオペで子育てを続ける中、
息子が小学校2年生になる頃、子育ての大きな壁にぶち当たりました。

宿題をなかなかしようとしない、学校に行きたくないと突然言い出す息子を、
叱りつけたり怒鳴ったり。
思うようにならない目の前の現実に感情を抑えられず、必死に抵抗する息子を
力づくで引きずってまでコントロールしようとしている自分に深く苦しみました。

「本当はこんな子育てがしたいわけじゃない・・・でもどうしていいかわからない・・・」

藁にもすがる思いで子育てセミナーへ通い始めました。

母親としての自分と向き合い、悪戦苦闘し続ける中で、
苦しんでいた状況も日に日に少しずつ改善していき、ほっと一息ついた頃です。

買い物しながら歩いていると急にガクンと腰から崩れ落ち、
その日以降、30分以上は歩き続けることが出来なくなってしまいました。

「歩けなくなったら子どもをどこにも連れていってあげられない・・・もう終わりだ・・・」

そんな思いが何度も頭を巡り続け、
自分の人生そのものに絶望を感じるほど追い詰められていきました。

限界の中、助けを求める一歩を踏み出す

「自分の身体はどうなってしまうのだろう…」
「もう死んでもいいかな…」

そんな思いがふと出てきて、生きている実感を持てないまま、
自分の世界がどんどん狭くなっていくような感覚に囚われてもがき苦しんでいました。

もがき苦しみながらも、心の奥でこう強く思った瞬間がありました。

「私には、こんなにも可愛くて愛おしい大切な二人の子どもがいる」
「このまま何も変わらなかったら絶対にだめだ!」
「自分の人生なんだから自分らしく生きたい!」」
「乗り越えられないものは絶対無いはず!」
「大切な人たちと笑顔に包まれて暮らしたい!」

この子たちのためにも、そして何より自分自身のためにも、
今のままではいけない。そう強く感じたのです。

カウンセリングセッションとの出会いが私らしく生きる転機になる

そんな時、あるご縁からカウンセリングセッションに申し込む機会がありました。

「とにかく、この苦しみから解放されたい・・・」
「とにかく、自分の気持ちを吐き出したい・・・」
「誰でもいいから、ただ私の話を聞いてほしい・・・」

最初はとにかく自分の気持ちを聞いて欲しいだけでした。

何をどう話せばいいのかもわからないまま、
ひと言ひと言を絞り出すだけで涙がぽろぽろと頬をこぼれ落ちていました。

救いを求めて一歩を踏み出したことが、人生の大きな転機になっていきました。

その後、幾度となくカウンセリングセッションを受け、
自分自身と向き合う時間を重ねていきました。

藁をもすがる思いで、とにかく今のどん底の気持ちを楽にすることに集中しました。

すると、少しずつ、でも確かに、私の心は元気を取り戻していきました。

長年抱えていた不安や生きづらさ、もつれていた思考や感情が少しずつほどけ、
本来の自分へ戻っていく感覚がありました。

「もっと早くカウンセリングに出会えていたら・・・こんなに長い間苦しまなくて済んだのに。」
「もっと早く、自分らしさを取り戻せていたかもしれない・・・」

心からそう思いました。

自分の心が整っていくと、自然に笑顔が増え、エネルギーが湧き、
いろいろなことに挑戦したいという前向きな気持ちがどんどん大きくなっていきました。

心と向き合い、人生が少しずつ変わり始める

心のことを学び、自分自身と向き合い続ける中で、少しずつ身体にも変化が現れ始めました。

長年悩まされてきた慢性的な胃の不調や下痢、めまいの症状は無くなりました。
(ふと気が付いた時には無くなっていました。)

心と身体を大切に出来るようになり、30分歩くのもつらかった足腰が、
今では子どもたちと一日出かけられるほど元気になりました。

日常の不安や心配ごとも少しずつ減り、心に余裕が生まれています。

子どもたちはすくすく成長し、元気エネルギーが満ち溢れてキラキラしています。
かつては「もう無理だ」と感じていた夫との関係にも変化が訪れ続けています。

自分が変わると、人生は変わっていく。
私はそのことを、自分自身の経験を通して実感しています。

自分を後回しにせず、自分の人生を選べるように

以前の私は、周囲の期待や意見を優先し、自分の気持ちはいつも後回しにしていました。

カウンセリングで、心を整え、自分自身と向き合い続ける中で、少しずつ変化が起こりました。

周囲の声に振り回されるのではなく、自分の気持ちにも耳を傾けられるようになったのです。

無理に誰かに合わせ続けることも減り、「私はどうしたいのか」を大切にできるようになりました。

その結果、自分のやりたいことに挑戦したり、
自分のための時間を優先したり、
人生を自分の意思で進めていける感覚が育っていきました。

「自分を後回しにしない」
それはわがままではなく、自分らしく生きるために必要なことだったのだと、今は感じています。

私らしく生きる、そして誰かの力になりたい

これからの人生、私らしく生きていきたい。
そして同時に、これまでの経験を、同じように苦しんでいる人のために活かしていきたいと思うようになりました。

かつての私のように、

  • 親の影響が強い家庭で育ち、生きづらさを抱えている方
  • 同じような苦しいパターンを繰り返してしまう方
  • 自分の気持ちを言えず、周囲に合わせすぎてしまう方
  • 学校や仕事、結婚生活や子育てなど、人間関係がうまくいかない方
  • 誰にも言えない孤独や寂しさを抱えている方
  • 自分らしさを閉じ込めて我慢して生きている方

そんな方の力になりたいと思っています。

安心して気持ちを話せる場所があるだけで、人は少しずつ変わっていけます。
あなたがあなたらしく生きられるよう、心を込めてサポートいたします。